スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
- 2014.01.29 Wednesday
- -
- -
- -
- by スポンサードリンク
思いがけないこの受賞の場で、出た言葉は、
「この受賞は、書や文字が、今という時代に再認識されたことと受け留めております。
わたくし自身もこの賞に恥じぬよう、精進をして参りたく存じます。誠にありがとうございました。」
というものだった。常々思っているのは、「書」の感覚というものは、そもそも各人に備わったものであり、日常の事だと思う。ただ、書くことということ自体への慈しみなどがあるか否かという問題のように思っている。よって、今回、私が、書家として初めて受賞したということは、私のイチ作家性というものよりは、「書や文字が改めて認識された」もっと云えば、「認識したくなった」という、”時代の声”なのではないかと思った。
授賞式で、審査委員長のタナカノリユキ氏も、かつて、白川静先生(漢字学者・文字学者)の講演を聴講し、その凄みは今でも忘れないと、授賞式のステージの袖で、その時初めて会った氏と私は、少しばかりの言葉を交わした。そして、壇上では、受賞理由として、「書を越えて、そして、漢字を越えて、今の時代を吸い込み、宇佐美さんの世界は、書の世界であって、もはや、その書の世界を超えた世界・・・・。ぜひ、皆さん、彼女の作品を見てみてください。きっとそこには・・・・・・ 」と、過分なる審査理由を公表してくださった。また、総評では、「今、ものの根源や成り立ちを今一度考える時なのではないか」と評された。私は、書を書く、ということだけでなく、文字の成り立ちに探究心を寄せ、それを、今日での表現というところを模索しているところが、私の特徴で、そこが賞されたようだった。
今年は、故・白川静先生のご生誕百年であった。白川静先生と、書を教えてくれた亡き母へこの想いを捧げたいと思うと、白川静先生のあの声とお姿、そして、母に手を執ってもらっていた頃が霞んだ。
今回の、授賞式でのこの着物。父の母(つまり、祖母)の娘時代の着物。約、70、80年ほども前のものになろうか。代々、宇佐美女衆が受け継いできた。まさか、この着物も、時代を超えて、平成のこの世で、照明の輝きと人々の視線を燦々と浴びるとは思ってもいなかっただろう。そこが、着物のいいところ、そこが日本のいいところ・・・・そう、あなたは思わないか?今年の新作!も、いいが、古の心の姿をこうやって堂々と纏うことができるこの日本の文化を私は誇らしく思う。そして、今、この骨抜きになった日本め!どうにか、どうにか、目を覚ませ!と、自分をも悔しくも思うこともある。
帯は、京都の京丹後市の、民谷螺鈿(たみやらでん)様の逸品。この着物に合わせ、民谷螺鈿の民谷共路様がお見立て下さった。漆が全体に施され、そして、帯の中央部の輝く市松模様の部分は、螺鈿。(この、螺鈿の帯については、私も、少し勉強し、またご紹介をさせて頂けたらと思う。)螺鈿細工とは、もちろん、貝を使う。貝は神聖なるもの・・・・漢字も神聖なるものを慈しむところから誕生している。神秘な貝の力を、私は、この場でお借りたいと思い、今回、氏にお願いを申し上げた。
この受賞が私に与えてくれた最大のものは、「戒め」であろうと、いま、ここでこう綴りながら思う。よく、自分の志を今一度心に刻み、おでこを全部さらけ出して、ただ一点を見つめて、そして、でも時には道草も・・・・許して。いつもあるのは、「志都」。つまり、「己の都を志す」ことだけ。そういう意味では、まだ私は、何の受賞もご褒美ももらうには、まだ早い・・・・今は、まだ、何も手にするな。
そんな低い声が、燃え滾る火の奥に仁王立ちする仏像から、受賞の翌日に座禅修行する私に届いてきた。
★この度の選考基準他は、宇佐美志都・広報便りにてご紹介★